2015/07/26

昔の記事(2014/07/26)から_五鉄(旧 五日市鉄道)跡_01

 ちょうど一年前にgooのブログに載せた記事です。
 かつて、立川から武蔵五日市までを結ぶ<五日市鉄道>という民営鉄道があり、その内、拝島から武蔵五日市まではJR五日市線として存続しているものの、立川から拝島の間は昭和19年に廃止されました。
 去年の今頃は、この五日市鉄道の廃線跡を辿って、それを数回に分けてブログに掲載していました。
 同じ時期に今の会社に就職が決まり、職場が西立川駅近くになることが分かっていて、地元のことを調べてみようという頃でした。
 今、私たちのデイサービスをご利用いただく方々の大半が、この旧五日市鉄道の沿線とも言えます。戦前の記憶をお持ちの方は少なくなりましたが、それでも時々は<五日市鉄道>のことは話題になります。一年前に自転車で周ったことが、今、仕事でも役にたっています。
 以下、一年前の記事です。

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 4月から自転車で近隣を走ってみることが増えて、改めて地元のことを見直してみる機会が増えました。
 今回は、その中から<五鉄(ごてつ)>と略して呼ばれた鉄道の廃線跡のことを書きます。

 五鉄は、正確には五日市鉄道で、立川から拝島を経て、武蔵五日市までを営業していました。この鉄道は、現在のJR五日市線の前身で、現在の五日市線が拝島から武蔵五日市間ですが、昭和19年までは立川から拝島までの区間もありました。

 ↑現在の地図に、五日市鉄道の立川~拝島間を赤い線で辿ってみました。
 立川から1km弱の部分は、現在も中央線から青梅線への短絡線として使用されていますが、それ以西の部分は全て廃線となり、現在ではほとんどの部分が道路になっています。
  廃線となった理由は、既に開通していた青梅線(旧青梅鉄道)が並行するように走っており、第二次大戦末期の事情から、国有化の後、昭和19年に不要不急路線の一つとして休止され、そのまま廃線となったとのことです。

 その道路は<五鉄通り>と名づけられており、往時の名が使われていますが、鉄道らしい痕跡は全く見られません。

 例えば、拝島駅近くの五鉄通りは、両端が駐輪場になっています。この駐輪場の先は緩やかなカーブが続き、多摩川方向へ緩やかに下って行く線路跡の道路が国道16号線まで続きます。

 逆に立川方には、旧五鉄の跡らしきものがあります。<武蔵上ノ原>という駅があった位置は今も土盛りが残っており、駅があったことが分かります。上の画像の中央辺りの土盛りされた場所がそれです。記事トップの画像は、この反対側のものです。

 武蔵上ノ原駅の位置を地図上で表すと、上の画像のようになります。立川駅から1kmに満たない、駅間距離が短い場所にありました。
 現在の短絡線は、この先を右にカーブして行き、西立川駅に至りますが、五鉄は、この武蔵上ノ原駅を出た後、少し左にカーブして、現在の<江戸街道>上を1kmくらい走って<郷地>という次の駅に達していました。
 五鉄の続きは、跡を辿りながら改めて書いてみます。

2015/07/11

西立川界隈_01 航空支庁前踏切


(踏切標、上り線立川方、下り線西立川方に同じものがあります)

 JR青梅線の立川と西立川の間には、大小6つの踏切があります。
〈航空支庁前踏切〉は、立川から5つ目の踏切です。
  
(踏切の様子 復員約9mというのは、青梅線の踏切でも広い方です)

 幅が約9m有り、両脇にある踏切票が古めかしいことから、かつて(旧)陸軍立川航空支廠が上の画像の奥にあった頃からの大きさだと思います。立川航空支廠は、米軍立川基地を経て、その一角が今は〈国営昭和記念公園〉になっています。
 私の勤務する介護施設は西立川にあり、ご利用者様から昔の地元の話を伺うことも多いのですが、その中のお一人から、先日「立川飛行場物語」という本をお借りしました。


 大正から昭和時代の大半、立川に(旧)陸軍と米軍の飛行場があった頃を知る人たちの証言集です。昭和が終わる間近の1987年、昭和62年に発刊された本です。
貸してくださったOさんは、この本を印刷した会社にお勤めだったことから、ご自宅に愛蔵されていたこの本をお持ちくださったのです。
 上・中・下巻と、時代を追って、飛行場や立川の街に縁のある人たちの、様々な証言が収められており、とても興味深く読めました。

(踏切から西立川方向を望む)

 〈航空支庁前踏切〉についても少しだけ触れられていましたが、正しい名称が航空支「廠」なのに踏切の名前が航空支「庁」になったのかは不明なようです。
 支廠は広大で、西立川の隣、東中神駅近くまで広がっていましたが、今ではその痕跡はほとんど見られません。〈航空支庁前踏切〉は、ここに飛行場、基地があったことが分かる数少ない記しです。