2015/05/23

タルタル・ソース



 タルタル・ソースが大好きです。
 上の画像は、多摩モノレール立川南駅近くにある<竹や>さんの<鶏カツ>です。カツも大きく、自家製のソースが、豪快にたっぷりとかけられていて大満足でした。

 タルタル・ソースが大好きになったのは、初めて食べたときからです。

 母方の祖母の家が千葉県成田市にあって、その行き来には上野から京成電車に乗っていました。
 京成上野駅は上野公園の下にあり、国鉄(!)上野駅とは離れています。山手線に乗り換えるために地下から外に出るのですが、出てすぐのところに<聚楽台>という大衆的なレストランがありました。2008年に建物が老朽化したために閉店、2012年に新しくなった建物には、もう聚楽台は無くなっています。

 新しい建物は綺麗で、聚楽台のようなテーブル席と座敷が混在する大衆食堂には似つかわしくないのかもしれません。
 

 ある年、成田から上野に着いたのが夕飯時だったことがあり、聚楽台が便利な場所にあったから、夕飯を食べて帰ろうということになりました。
 好きなもの選んで良いと言われ、エビフライを頼み、そのときに初めて<タルタル・ソース>を食べたのですが、子供心に「なんて美味しいんだ!」と思わせられました。それ以来、タルタル・ソースが大好きです。あれは初めて食べた<洋食>でもあったかもしれません。
 今日食べた竹やさんのタルタル・ソースは、初めて食べた、あの美味しいタルタル・ソースを思い出させてくれました。

2015/05/17

佰老亭(台湾料理)_川崎市高津区




 昨日の夕食は、東急田園都市線の二子新地駅近くにある台湾料理店<佰老亭(ひゃくろうてい)>さんに初めて食べに行きました。
二子新地駅は、再開発が進んでいる二子玉川駅から多摩川を越えて一駅め、二子玉川駅のホームから二子新地駅のホームもよく見えるくらい近い場所ですが、二つの駅の周りは、それぞれ全く違った雰囲気です。
 <新地>という言葉は、特に関西では料亭や芸妓さんの置屋があったりする場所を指しますが、二子新地の駅前の通りは狭く、その通りに何軒もの飲食店が並んでいて、かつての<新地>だった頃の雰囲気が感じられました。

 佰老亭さんに行ってみたかったのは、よく読むブログで何度も美味しそうに紹介されていたからでした。
 そのブログを書いている方は、隣の二子玉川が職場なようですが、わざわざ橋を渡って二子新地まで食べに行くことが多いようです。その方にとってそれくらい魅力的なお店なんでしょう。
 私も台湾料理は大好きなので、一度、行ってみたいと思っていました。
 


 もう暑くなってきたからか<冷やし中華>もメニューにありました。一番上に載っているのはクラゲです。食感がとても良い感じでした。
 

 餃子は、水餃子や茹で餃子もありますが、初回はオーソドックスに焼き餃子にしてみました。ごく普通な見た目で、皮も餡もオーソドックスなんですが(ニンニクはキツめ)、美味しい!



 <ジャガイモ炒め>を頼んでみました。シンプルに千切りしたジャガイモ、ニンニクと唐辛子だけを炒めたものですが、これがまたジャガイモの甘味、旨みが出て、とても気に入りました。多分、家で同じように作っても、同じような味にはならない気がします。炒め物が得意なのかな?と思わされました。


 もう一つ炒め物を頼んでみました。<コブクロ炒め>です。以前、名古屋にある<味仙>さんでも食べて、気に入ってるメニューなのですが、佰老亭さんでは、見た目は辛そうに見えなくても、しっかり辛味が効いていて、これもまた美味しいです。つくづく車で行ったためにお酒を飲めなかったのが残念です。



 台湾料理店らしく焼きそばにも<台湾焼きそば>がメニューにあったので、もちろん頼んでみました。平たい麺が好きなので、これも良かったです。香辛料は種類は分かりませんが、台湾現地で食べた風味を感じました。

 お店の中は写真を撮りませんでしたが、カウンターが15席くらい、10人くらいが入れそうな座敷が二間ありました。日中は店頭でテイクアウト販売もしているようです。
 夜9時くらいに行きましたが、地元のお客さんが数組入っていました。常連さんが多そうで、そんな感じのお客さんの一人に、
 「メニューに載っていない料理でも、マスターに頼めば作ってくれるよ」
 と、教えてもらいました。今度行くときは、何かお気に入りの料理から選んでみようかな?とも思います。
 お店のご主人夫婦と息子さん(?)、お客さんの間に、なんとも良い感じの距離感があり、お店の雰囲気もまた良かったです。

↓佰老亭さんの場所

2015/05/12

昔の記事(2011/05/24)から_昭和公園(東京都昭島市)

 以前にgooのブログに書いた記事のリサイクルです。
 今回は2011年の5月24日に書いたもので、東京都昭島市にある<昭和公園>について書いてありました。
 昭和公園は今の職場の近くにあり、毎日にようにその前を行き来し、公園の中を通ることもしばしばです。この記事を書いた当時は、愛犬の散歩に行くことはあっても、それほど身近には感じていませんでした。
 2011年5月には公園内にある小動物園のヤクシカに赤ちゃんが生まれていました。最近は、動物園の前まで行っていませんが、今年も生まれているかどうか、気になります。

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 今日の愛犬の散歩は、東京・昭島市内にある<昭和公園>に行ってみました。ここは時々出かけるお気に入りの場所です。
 国営の<昭和【記念】公園>と間違えられることがありますが、こちらの方がずっと古くからある公園です。造られた正しい年は知りませんが、昭島市のHPから読むと60年くらい前に造られた公園のようです。昭島市が発足する前、当時の<昭和町>にあったから<昭和公園>なのでしょう。
 昭和【記念】公園が有料なのに対し、昭和公園は入園は無料です。普通の、街の中にある公園なのですが、野球場や陸上競技場があったり、60年も経つと大きく育った樹木に囲まれていて、よく整備されている公園だと思います。

 トップの画像に載せた画像は、公園内にある小動物園の孔雀です。今日は珍しく羽を広げていました。孔雀の他にも数種の鳥類、ウサギなどが飼育されています。

 その中で今日、目を惹いたのは、ヤクシカの飼育エリアです。

 前回、5月5日に来た時には産まれていなかった子鹿がいました。まだ脚がおぼつかない様子で、生後間もないのかもしれません。


寄り添っているのは親鹿のようで、心配そうに側に居ました。
 雨ざらしの状態の蒸気機関車もあります。鉄道博物館などとは違って保存状態はよろしくありません。

2015/05/05

福島通り( 東京都昭島市)


JR青梅線・東中神駅前の踏切から、南方の多摩川べりまで真っ直ぐに伸びる道<福島(ふくじま)通り>があります。
 「ふくしま」ではなく「ふくじま」と濁るのは、同じ市内の拝島(はいじま)と共通しています。地名の謂れは知りませんが、共通する意味があるのかもしれません。


 

 東中神駅から江戸街道との五差路までは踏切と信号が続いて、車が並んでしまう場所です。普段、仕事で頻繁に通りますが、朝夕は両方向とも混みあいます。


 通りに面して<昭島市民図書館>がありますが、その脇に<福島通り>の標が建っています。<大山詣で>で往来する人たちが通っていたことが伺えます。この場所から北方の立川市内には<大山道>という名前の道も残っています。


 図書館前の説明書きにあった古い道標がある昭和公園の西入口に移動してみました。


 「右 福島渡舩場近道」と、書いてあるようです。


 違う面には「右 福島中神・・・」「左 立川停車場・・・」とありますが、古い道標で文字が見えなくなっています。


 標が建てられたのは大正9年のようです。その下に「築地支部(?)」と読めるようですが、何の支部だったのでしょう?


 福島通りを奥多摩街道から南下すると、多摩川べりまで緩やかな下り坂が続きます。今日はGW中だからなのか、車の通りが少ないのですが、普段は抜け道にも使われていて、けっこうな交通量があります。
 私の勤めるデイサービスに通っていただいている女性がこの近くにお住まいなのですが、狭い福島通りは、交通量のわりに歩道も無く、歩くのが怖いと言っていました。


 上の画像に<廣福寺>の看板がありますが、このお寺は豪壮で、立派な釣鐘堂もあります。奥のスーパーの看板が写らなければ、もっと良い雰囲気なのですが...


 多摩川べりに着いたところから振り返ってみました。ほぼ一直線な道です。画像中央あたりの両側には小さな田圃があります。昭島市内では少なくなった稲作地です。


 <福島の渡し>があったであろう場所です。対岸は八王子市の小宮町の辺り。昭和の初期までは渡しが使われていたそうですが、今は多摩大橋が架かっています。昔は、多摩川のあちこちに<渡し>があって、この近くにも<(八王子)平の渡し>などもありました。

 今日は仕事帰りの午後6時頃に行ってみましたが、晴れていたこともあって、ずいぶん陽が伸びたのが分かりました。
 普段は仕事で通り過ぎるだけの道ですが、自転車で移動してみると見落としていたものも見えてきます。

2015/05/03

昔の記事(2009/5/4)から_多摩蘭坂

 以前にgooのブログで書いた記事のリサイクルで、今回は6年前の2009年5月に書いたものです。
 この記事を書いた前々日、忌野清志郎が亡くなっています。昨日は彼の七回忌でした。

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 7時半に家を出て、隣町の国立まで行ってみました。その国立市と国分寺市を結ぶ「多喜窪通り」の両市の市境に「たまらん坂」という、車で登るならどうということはないけれど、自転車を漕いで登るにはちょっと辛いくらいの坂道があります。バス停名は「多摩蘭坂」となっていますが、これは当て字のようです。

 「たまらん坂」の謂れは、国立にある一橋大学(旧 東京商科大学)の学生達が、昭和のはじめの頃、まだ林道のようだったこの急な坂道を行き来するときに「これは堪らん」と言っていたことから、という説が有力です。
 「たまらん坂」が「多摩蘭坂」となったのは、亡くなった忌野清志郎が作詞した同名の歌からでしょう。
 「坂の途中の 家を借りて 住んでる...」
 と彼が書いたことからファンの間では有名な地になりました。実際に彼は、国立市内で下宿していたそうですが、古い写真などを見ると、その当時この坂の両側は空き地だったようです。従って歌詞にあるように、この坂の途中にある家を借りて住んでいたわけではないのですが、それでもファンは幻想を抱いてしまいます。
 今日の日付で、坂の途中の建売住宅の現場に落書きがありました。
 忌野清志郎の歌詞は、そのシーンが思い浮かびやすい、具体的な言い回しが多く、地名が登場することもしばしばでしたが、その中でも「多摩蘭坂」はピンポイントで歌詞に登場した場所です。
 「多摩蘭坂」が歌われて以来、この坂道には落書きが絶えませんでした。
 たまらん坂の下端に道標がありますが、花が手向けられ、お酒などが供えられていました。これらも忌野清志郎のファンの人たちが供えたのでしょう。

 去年は、一度は快方に向かいライブも行なった忌野清志郎ですが、人前に出たのは11月が最後でした。それから半年強が過ぎての訃報でしたから、昨日の宿直明けの朝に携帯でニュースを見たときは驚きました。
 帰宅してからはYouTubeで彼やRCサクセションの動画を観てばかりでした。小さな身体で、声量も大きい方ではなく、綺麗な声でもない、でも独特な歌い方。桑田啓祐も洋楽調の曲に日本語の歌詞を上手にのせて歌いますが、忌野清志郎は、日本語をブルースやロックンロールに、独特なのせ方をこなしてたように思います。
 もっともっと彼の歌を聴きたかったけれど、もう叶いません。