以前にgooのブログで書いた記事のリサイクルで、今回は6年前の2009年5月に書いたものです。
この記事を書いた前々日、忌野清志郎が亡くなっています。昨日は彼の七回忌でした。
この記事を書いた前々日、忌野清志郎が亡くなっています。昨日は彼の七回忌でした。
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7時半に家を出て、隣町の国立まで行ってみました。その国立市と国分寺市を結ぶ「多喜窪通り」の両市の市境に「たまらん坂」という、車で登るならどうということはないけれど、自転車を漕いで登るにはちょっと辛いくらいの坂道があります。バス停名は「多摩蘭坂」となっていますが、これは当て字のようです。
「たまらん坂」の謂れは、国立にある一橋大学(旧 東京商科大学)の学生達が、昭和のはじめの頃、まだ林道のようだったこの急な坂道を行き来するときに「これは堪らん」と言っていたことから、という説が有力です。

「たまらん坂」が「多摩蘭坂」となったのは、亡くなった忌野清志郎が作詞した同名の歌からでしょう。
「坂の途中の 家を借りて 住んでる...」
と彼が書いたことからファンの間では有名な地になりました。実際に彼は、国立市内で下宿していたそうですが、古い写真などを見ると、その当時この坂の両側は空き地だったようです。従って歌詞にあるように、この坂の途中にある家を借りて住んでいたわけではないのですが、それでもファンは幻想を抱いてしまいます。
「坂の途中の 家を借りて 住んでる...」
と彼が書いたことからファンの間では有名な地になりました。実際に彼は、国立市内で下宿していたそうですが、古い写真などを見ると、その当時この坂の両側は空き地だったようです。従って歌詞にあるように、この坂の途中にある家を借りて住んでいたわけではないのですが、それでもファンは幻想を抱いてしまいます。

今日の日付で、坂の途中の建売住宅の現場に落書きがありました。
忌野清志郎の歌詞は、そのシーンが思い浮かびやすい、具体的な言い回しが多く、地名が登場することもしばしばでしたが、その中でも「多摩蘭坂」はピンポイントで歌詞に登場した場所です。
「多摩蘭坂」が歌われて以来、この坂道には落書きが絶えませんでした。
忌野清志郎の歌詞は、そのシーンが思い浮かびやすい、具体的な言い回しが多く、地名が登場することもしばしばでしたが、その中でも「多摩蘭坂」はピンポイントで歌詞に登場した場所です。
「多摩蘭坂」が歌われて以来、この坂道には落書きが絶えませんでした。

たまらん坂の下端に道標がありますが、花が手向けられ、お酒などが供えられていました。これらも忌野清志郎のファンの人たちが供えたのでしょう。
去年は、一度は快方に向かいライブも行なった忌野清志郎ですが、人前に出たのは11月が最後でした。それから半年強が過ぎての訃報でしたから、昨日の宿直明けの朝に携帯でニュースを見たときは驚きました。
帰宅してからはYouTubeで彼やRCサクセションの動画を観てばかりでした。小さな身体で、声量も大きい方ではなく、綺麗な声でもない、でも独特な歌い方。桑田啓祐も洋楽調の曲に日本語の歌詞を上手にのせて歌いますが、忌野清志郎は、日本語をブルースやロックンロールに、独特なのせ方をこなしてたように思います。
もっともっと彼の歌を聴きたかったけれど、もう叶いません。
去年は、一度は快方に向かいライブも行なった忌野清志郎ですが、人前に出たのは11月が最後でした。それから半年強が過ぎての訃報でしたから、昨日の宿直明けの朝に携帯でニュースを見たときは驚きました。
帰宅してからはYouTubeで彼やRCサクセションの動画を観てばかりでした。小さな身体で、声量も大きい方ではなく、綺麗な声でもない、でも独特な歌い方。桑田啓祐も洋楽調の曲に日本語の歌詞を上手にのせて歌いますが、忌野清志郎は、日本語をブルースやロックンロールに、独特なのせ方をこなしてたように思います。
もっともっと彼の歌を聴きたかったけれど、もう叶いません。
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